野田家

野田家の奇妙な日常

逃げるが勝ちの護身術

先日、興味深い記事をみつけた

www.02320.net

 

僕は中学二年でフルコン空手を始め30歳になる今まで続けている。
試合にも出場していて新人戦で優勝したこともある(遠い昔)

 

身長は181cmで体重は84キロ

そう、巨体だ

 

しかし、仮に路上で150cmのガリヒョロがコンバットナイフを持って襲って来たらどうするか??

 

僕は間違いなく逃走する。

ナイフを持った相手と戦うというのは、全身が金玉になった思った方がいい。
どこを刺されても致命的なダメージを負う。

 

 

護身術は理屈上、凶器を持った相手や複数人と戦う時に対応できる術だ。

だが、実際にそういった状況に対峙すると人はビビる

 

始めて空手の大会に出る時、ほとんどの人が体が萎縮して動けない。
戦闘民族の血でも引き継いでいなければ、ぶっつけ本番で100%の力は出せないのだ。
ビックリするくらい膝がガクガクする。

それに、
練習では完璧な状況を想定してシミュレーションをしている。

ハイヒールやミュールだったら?
雨が降ってたら?
夜だったら?
酒に酔っていたら?
お腹いっぱいだったら?

人生はイレギュラーに満ちあふれている。


しかし、どんな状況でも発揮しやすい要素がある
それは
「走力」だ。

 

僕自身、フルマラソンに2回出場し完走している。
1度目のフルマラソンは月平均80キロ以上練習した。

 

普段空手の稽古をして月80キロ以上走って挑んだ大会当日、
僕は数えきれない女性にごぼう抜きにされたのだ。

それどころか80歳近い老人にも抜かれた。

 

走力は年齢性別関係無くかなり平等に近い。

華奢な女性でも月80キロ走った180cm84キロの男を颯爽と追い抜くことができる。

 

仮に1キロを4分前半で走れるのなら

100人の変態に追いかけられても捕まらないだろう

多少足が速くても逃げている方が追いかけている方より有利なので(走る進路は逃げてる側が決めるしペースの調整もできない)

同程度の走力でも逃げている方が勝つ。(事実、僕は逃げる小学生の甥っ子も捕まえきれなかった)


 

女性の場合は逃げると決めたら運動靴以外は脱ぐこと。
走って逃げる際の一番のリスクは転けることだ。
きっとアドレナリンが出てるので裸足で走れるはず。
また、逃げる前に悲鳴を上げる(声を出すことで呼吸が整い足の震えなどを抑えることができる、キャーよりもオ"ォォォォォオ"オ"!みたいな腹から出して巨人のように走れ)、走っている最中に投げれるものを投げるのも有効だろう。


ということで、僕は嫁さんには走って逃げるように言っている。
僕が空手をしているのは「護身」ではなくて「護衛」
つまり、大事な人が逃げるまでの時間稼ぎをするためだ。

 

自分の身だけを守るのであれば「走ること」がベストなのだ。

野田家と熊本地震

4月14日 21:30

 

僕は友人とご飯を食べていた。
他愛もない話をし、いつもどおりの夜がそこにはあった。

会話をしながら
僕は手元の手羽先をいつ食おうかずっと考えていた。

会話が途切れた時、
ここぞとばかりに手羽先に手を伸ばした瞬間

世界が揺れた。

その瞬間、手羽先は目の前から飛んでいった。


僕は今まで経験したことの無い揺れに
地震と理解するまで数秒かかった。

揺れは止むことなく
壁際のキープボトルを粉々にした。

心臓がバクバクと音を立てた
天井が落ちてこないか?
僕はなぜかずっと上を気にしていた。


そうしている内に揺れは収まり
店内は徐々に落ち着きを取り戻した。

店員がお客さんを落ち着かせようと
笑顔で声をかけていた。

そして何も無いところでコケた。

それくらい揺れていたのだ。

 

僕はとりあえず家に電話し
家族の無事を確認した。

とにかく早く帰らなければ

 

 

友人と別れ
自転車で家路へと急ぐ
帰路の途中、何度も地面が揺らいだ。

 

「なんか映画みたいだ」
僕は信号待ちの度に不安を紛らわすようにツイッターで近況をつぶやいていた。

 

家に帰ると、家族はいつもどおりで
家具も特に壊れていなかった。
ホッと胸をなでおろした。

 

なにせ僕の家はあと34年もローンが残っているのだ
ちなみに地震保険は入っていない。

 

その夜は、多少不安になりながらも
両親はいつもどおりの時間に就寝し
兄はアクション映画を見始めた。
さすが野田家。
現実に戻るスピードが早過ぎる。

 

そんな脳天気な家族を横目に
僕も嫁も息子も
いつもどおり、いつもの寝室で眠りについた

 

このとき、熊本県民のほとんどが
油断していた。

クライマックスの終わった映画のように

 

4/15


僕はいつもどおり出社した。
会社は水漏れで水浸し。
会社で残業していた人たちがいたので
PCは無事だった。
グッジョブ!

 

みんな、冗談まじりに地震のことを話したり
余震の震度当てなんかをしていた。

そこには不安定でありながら日常があった。

その日はみんな早く帰った。
僕も早く家族に会いたかった。


夜は余震に慣れてきて
みんなどこか余裕があった。

前日地震で寝れなかったこともあり
僕と嫁は息子を寝かしつけるはずが
気づけば一緒に寝ていた。

 

 

4/16 25:25

どどどどどどどどどどどどっ!!

 

僕は今まで感じたこと無い
激しい揺れと轟音に叩き起こされた

バチッ!
つけたままの電気は音を立てて消えた

寝ぼけた頭でも一瞬で分かった
前回よりも確実にヤバイ地震だと

 

ごごごごごごごごごごごご!!

家がタコ殴りにされているような状況に
正直、
今日死ぬかもしれないと思った。

必ず家族を守らないといけないと本能で感じた

どのくらい揺れに耐えただろ?
落ち着いてきた
その瞬間3人で部屋を出た

家族の無事を確認し
真っ暗の家をみんなで飛び出した。

外は軽いパニック状態
映画の中に迷い込んだような錯覚に陥った。

抱きかかえた震える息子の振動で
確実にそこにある現実だと引き戻された。

僕がしっかりしなければ
僕が守らなければ
僕が判断しなければ

野田家は必要な荷物をグシャグシャの家の中から土足で持ちだして
近所の小学校へ避難した。

全く練習せずに熊本城マラソンを走った想い出

 

振り返る2年前、
僕は始めてのフルマラソンに出場した。

職場の先輩に誘われノリでエントリーしたが
おかげで走ることの楽しさ!清々しさ!夜道のプリウスの怖さ!に気付くことができた。

 

2014年は、無事完走はできたのだが
帰宅後、即発熱。
熱は留まることを知らず39度後半まで上がった。

 

当時、数ヶ月後に出産予定であった嫁を尻目に
「こんなかっこわるい死に方まぢむり、いやだょ」
と自分の弱さを呪い続けた。

 

2016年の俺は成長した
失敗から学ぶ男、それが俺だ。

 

そう胸に刻み
2016年熊本城マラソンに当選したのが本番半年前。


「明日走ろう」

 

「明日走ろう」

 

「明日走ろう」

 

これを約180日繰り返した
気付けば2016年熊本城マラソン
僕のスローガンになっていた。

 

むしろ全く練習せずに出場するおれ
逆にすごくね?

なんて、圧倒的クズ思考が僕を支配していた。

 

そして、当日。

エントリー時、意識高い系にわかランナーだった僕は
予想タイムを3:30にした為かなり前の方にスタンバイしていた。
回りには冬なのに小学生みたいな短い短パンを履いた人が沢山いた。

 

そして、スタート。

 

僕のスタンバっていたエリアは早い人集まりらしく
ノーランニングノーライフの僕は
ゴボウのように抜かれた。

たまに肘打ちをくらうことがあったが
そいつの背中に殺気を放ち、
脳内で一本背負いをした。
そう、回りのペースに惑わされてはいけない。
ただただリラックスして、
ぎりぎりタイムのゴールを目指すのが僕のやり方、生きる道。

 

15キロ地点。
僕は帰りたくなっていた。

 

事前の練習で3キロしか走っていなかった僕は
あきらかな練習不足により、
いいようのない倦怠感に襲われていた。
帰りたい。帰りたい。

 

20キロ地点
もう無理だ。そう思った。
しかしこの地点でリタイヤしてる人間は見当たらない
60代過ぎているだろうか?おじいさんに颯爽と抜かれた。


25キロ地点
長い折り返し地点の向こう側に収容バスが見えた。
中に死にそうな顔の老人が一人乗っていた。
バスはゾンビのようなスピードで走っていた。
そんなバスを振り返りながら恐怖に怯えてギャルが早歩きで逃げていた。
彼女はもう助からないだろう。

 

30キロ地点
なぜかいきなり体が軽くなった
沿道で応援してくれた同僚にモンスターエナジーを貰ったからだろうか?
ここにきて颯爽と走り出す。
きつそうな人を追い越す度に
「ガンバッテクダサイネ!」
みたいな顔してみた。

 

35キロ地点
地獄再び
心身ともにどうでもよくなりはじめる
タイムも関門ギリギリだ。
このタイムで走ると沿道の応援もかなり減って来てるし
疲れて来ている。(歩いてる人ばっかだし見てるほうもつまらんはず)
まわりも死にそうな顔をして歩いている。
みな、明日のことを考えているのだろう。
僕もそうだ。
体が語りかけて来る。
今日も地獄だが明日も地獄だ。


40キロ地点
ここまでくるとリタイアする可能性は限りなくゼロになる。
僕は最後列の散々たる状況を目の当たりにした。
ほとんどの人間がどこかを負傷している。
まとも歩けるやつもわずかだ。
しかしここまできたらリタイアなんかしたくない。できるはずがない。
おそらく彼らは明日のことなど考えていなかった。
ここにきて本当のランニングスピリッツを手に入れた生粋のプレイヤーである。

明日走ろう。ではない
今日走らなければいけないのだ。

そのことにもっと早く気付くべきだったのだ。

僕は割と元気だったけど
すごくきつそうな感じで最後の1kmを走った。
そっちの方がなんとなくドラマチックだと思ったからだ。

そしてゴール!

応援しにきてくれている嫁を息子を探したがいなかった
どうやらゴールの瞬間を見逃したらしい。

足を引きずり嫁と息子と再開
1歳半の息子はなぜか僕の頭に芝生をひっきりなしに乗せて来た。
戒めだろうか?
ゴールでもらったバナナも気付けば食べられていた。

タイムは6;46
のこり15分でのゴールだ。

しかし僕は、この経験を通じて
練習することの大切さ
そして、熊本城マラソンの一番下を見る事ができた。
落ちるところまで落ちた
あとは上るだけだ。


そう!まだ冒険は始まったばかりさ!
※野田先生の次回作にご期待ください。

 

 

フルマラソン前にみると勇気が湧いてくる話

熊本城マラソンまであと1週間弱ですね!

 

満足いく距離は走れましたか?

残り一週間となるともう休足期間!

 

あまり練習に精を出し過ぎるといけません。

 

そこで!今日はみなさんの不安を和らげる2つのお話を紹介したいと思います!

 

その1 ウルトラマラソンマン

ディーン・カーナーシス - Wikipedia

彼は通常数十人で走る320キロのリレーマラソンを46時間かけて一人で走ってしまったクレイジー野郎です。

更に320キロ走ったあとに子供と遊園地で遊び、次の日7:00に会社に出社するという化物でもあります。

彼が走るきっかけとなったのは30歳の誕生日の夜。
友達とバーに行き、美人妻の誘惑に乗りそうになってしまった自分を恥じ

やる気スイッチが入ったことがきっかけです。
まぁ普通は次の日からまったりと走り始めるところを
ディーンはその日の夜からトランクスとTシャツで走り始め
最終的に48キロ先のセブンイレブンまで走り続けたそうです。
その後、帰れなくなり、妻に電話して迎えに来てもらったそうです。

 

 

その2 千日回峰行

logmi.jp

これは結構有名なのでテレビとかで見た人も多いかと思います。

往復48キロの山道を1年の内100日10年間行うという荒行です。

1300年の歴史で成功したお坊さんは2人しかいないそうです。

 

これ、恐ろしいのが「途中でやめることができない」という決まりです。

途中でやめなければいけない時は「自害」するという暗黙の了解があり。

死ぬ覚悟がなければ修行に入ってはいけないそうです。

 

つまり、熱があろうが骨が折れようがとにかく毎日山を往復しなければいけないということ。

 

更にその間食べるものはおにぎり2個。

フルマラソン1000回。おにぎり二個で。
考えただけでも1週間後の気持ちが軽くなりますね!

 

 

 

なぜ、こんな記事をかいたか?

それは僕もフルマラソンを控えた男だからである。

ちなみに僕は今年にはいって3510メートルしか走っていない。

フルマラソンはその10倍以上の距離を走るのだ。

そんなとき僕の心を支えてくれたのが上記の記事である。

 

曙とくらべたら私やせてるし〜

 

宇宙に比べたら君の悩みなんて大したことないさ〜

 

当日は回収車にのらないことだけを目標に頑張ります。

 

無言電話

野田家が二世帯同居生活を始めて早くも1年と8ヶ月が過ぎようとしている。

短く感じるが
トラブルが濃縮還元された月日だった。

そんなトラブルの一つを今日は語りたいと思う。

 

引っ越してすぐ、

僕らは新しい電話を買った。

親父が実家から持ってきた電話は死亡フラグの立った無線機のように
通信感度が弱かったからだ。

 

レトロで小洒落た固定電話をネットで見つけ
嫁も上機嫌だった。

 

しかし、
幸せな時間はそう長くつづかなかった。

 

ある日、23時ごろ
突然電話が鳴った。

おふくろが「あらあら〜」と電話を取る
「もしもし〜」
「もしもし〜」
「もしもし〜」
「もしもし〜」
「もしもし〜」

繰り返されるもしもしに
僕はおふくろが遂にボケたんじゃないかと言い知れぬ不安感を抱いた。

「あら〜」
どうやら電話が切れたらしい。

「無言だったわぁ〜」


その日から、無言電話野郎と野田家の物語が始まる。

 

無言電話は大体同じ時間にかかってきた
23〜24時ごろだ。

僕は臆病な捨て猫のように不意打ちに弱いので
その時間に電話がなるたびにビクつく。

勝手の知らない土地で毎日のようにかかってくる無言電話に
嫁も恐怖を隠し切れない。

僕は、何でもないようなことが幸せだったと思った。

とりあえず出るのだが、全く反応がない
これぞまさしく無言電話。

しかし野田家は、
なにごとも楽しむ流儀である
おふくろの口癖は「ケセラセラ」だ。

誰がこの無言人間を笑わせられるか?
その点について注力しはじめた。

 

これはクリエイティブな戦いである。

痴女になったり
ホ◯になったり
歌ったり踊ったり

僕らは様々なアイデアを実践した。

しかし、その中で一人イラつきを隠し切れない漢がいた。


 

しげはる
僕の父である。


当時しげはるは重度のアルコール依存症
ほとんど飯を食っていなかったため
無言電話に対して相当なフラストレーションを感じていたのだ。

 

電話がなるたびに
「んあぁあ〜!っっくしょう!」
と最大限のイラつきを表現していたが
飯を食っていないので電話を取る元気はなかった。

 

だが、その時がきた
その日、しげはるは思いの外調子が良かったらしく
電話がなった瞬間、
動いたのだ。

しかしそこは長年接客業を行ってきた漢
「はぁい!もしもし野田でぇす!」
1オクターブ高めの挨拶をかました。

「.............」

きた!無言電話だ!
僕はその後の展開を期待せずにいれなかった。



しげはる「.............おぅ、まぁたアンタか」
西部劇の往年の俳優のように口を開いた


無言電話「..............」

 

しげはる「ぁんた、暇な人間だぁな。こんなことして」

 

無言電話「...............」

しげはる「ぉうぉおい!!」

かなり熱くなっている親父の元に駆け寄った僕が見たのは信じられない光景だった。


しげはるは受話器を逆に持っていたのである。

無言電話に対する最高のアンサー
無言野郎は最後まで笑わなかったけど
父の天然アンサーは最強のクロスカウンターだった。

 

 

電話のミスに気づいたしげはるは少し照れ笑いをすると
無言で寝室に帰っていった。

その背中を見た僕は思わず
「シェーン!カァームバァックシェーン!」
と叫びたくなった。

 

 

 

 

※無言電話は後日、非通知拒否の設定をしてかかって来なくした。
※親父のアルコール依存はその後回復した。

ハロウィンウィン

先日、嫁と息子三人でハロウィンイベントに参加した。

 

嫁が昔よく参加していたgreen birdという
ゴミ拾いボランティアのハロウィンイベントだ。

 

夕方5時

すれちがう女子高生ゾンビ。
振り返ると傷だらけのマリオがいた。

 

数年前から熊本もハロウィンが盛り上がっている。
そこら中にカラフルな男女が雑踏を賑わしている。

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赤ちゃん本舗で衝動買いしたディズニー某リスの服を着せて
準備は完了。
気分はハロウィンモード。

僕がネットで買ったパンダのかぶりものは
一切視界が遮られるという不具合のため、
数分で荷物になった。

 

掃除開始。

僕らの班を先導するのは地元のローカルアイドル
彼女は掃除というかアッピールに余念がなかった。

いや彼女の仕事は可愛い自分を見せることで僕らの掃除のもてぃべーしょんをアップアップさせることなのだから、これでいいのだ〜

 

時間が経過するにつれて街は掃除どころではなくなってきた
もう、身動きか取れないくらいのマリオやミッキーや悟空に囲まれた。
リス化した息子はちょこちょこと動きまわる(こいつぁ危険だ)

 

僕はミニスカゾンビナースの群れをかき分け息子を救出し
嫁とハロウィンスポットを抜けだした。

 

年々盛り上がるハロウィン。
年頃の男女が「いたずらしちゃうぞ〜」と気軽にいうハロウィン。
まさにウィンウィンのイベントである。

嫁弁当

我が家は共働きである。

超絶かわいい息子のためにも

日々夫婦二馬力で駆け抜ける毎日だ。

僕は節約のため今年から弁当を持っていくようにした。
毎朝、弁当を作るのが日課だ。

弁当の内容はご飯の上にその日冷蔵庫に入ってる肉類を炒めて目玉焼きで蓋をする
シンプルイズベスト。

自慢じゃないが僕の目玉の「焼き」の技術は完璧に近いと自負している。

しかし完璧な目玉焼きも数ヶ月連続で食べればふたつの目玉がウルトラマンに見えてくる。そろそろ違うものが食べたい。

そんなある晩、嫁が言った
「明日、息子が遠足で弁当が必要だからあなたのも一緒につくろうか?」

僕は数カ月ぶりの目玉焼き弁当から解放されることでテンションが上がり

「あいぃっ!」
と思わず変な返事をした。


そして、翌日。
待望の愛妻弁当である。

僕は弁当が入っている袋を開けた。

 

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そこには想像以上に巨大なおにぎりが姿をあらわした。
持つと昔のipadくらいの重さだった。

「巨人飯……」

僕は一人デスクでつぶやいた。


この巨人飯のスゴイところは

食べても

食べても

減らないのだ。

デカいだけはなく高密度。
これなら冬でも暖房の熱を逃さないね!
お金持ちの友達の家に遊びに行った時の記憶が蘇った。


最近の空手の練習で巨大化した僕は
嫁にとって巨人に見えているのかもしれない。

おかげでお腹がいっぱいになりました。